日本人の防災意識など、つねに最貧国のままだ

 画像JR西宮駅、阪神西宮駅の間、ちょうど西宮戎のあるあたりから、日本書紀にも出てくる廣田神社前を経て武庫川を越えると、高師直討ち死にの碑があり、昆陽池、伊丹、楠木正成が息子正行と別れた桜井を通り、箕面から、阪大キャンパス横を通って高槻へと通じる、京都からの通称「西国街道」、国道171号線が走っているが、この線は、阪神淡路大震災の時、被害の大きかったところで、阪急今津線の門戸厄神の橋梁も落ちている。

 素人目にも、六甲山系が地震で海に向けて崩れ落ちたところを、たくさんある川が土砂を運び扇状地にしていった地形であることがわかる。西宮から神戸の間、武庫川が一番長く、猪名川、夙川、芦屋川、石屋川と短い川が並んである。廣田神社は、江戸時代まで今の所よりもっと北側、六甲山系麓、甲山の麓にあったという。ここは神功皇后の三韓征伐にも関係しており、武庫、兵庫ときな臭い名が残る。戦前は別格官幣大社だったが、そもそもは古代、土砂災害で人が死んだことへの鎮魂自然崇拝だったのだろうと、私などは理解している。平地の始まるラインが西国街道となり、そこに国道を敷いたのだが、その下には明らかに断層がありますということがよくわかる。阪神淡路大震災の際には、武庫川の支流、逆瀬川、仁川、とりわけ仁川百合野台、私が子どもの頃は仁川ピクニックセンターと言われたあたりは無理な宅地開発が祟り、土砂崩れでたくさん人が死んでいる。

 高槻は、離れているように感じるかも知れぬが、国道171号線を知れば、断層でつながっている。昭和40年代、すなわち1965年頃から宅地開発されたところは、どこもかしこもブロック塀が使われ、それが今もたくさん残っている。日本中でこれが使われた。日本の高度経済成長が、いかに安普請であったということの象徴である。1995年の阪神・淡路大震災でどれだけの犠牲者が出たかを、みんな忘れているんだ。もうあんな大地震はないだろうとタカを括っている。日本人の安心・安全、防災管理とはそんな程度のものだ。

 あれから25年が経過していく。あのは時、大丈夫だったとしても、仮に鉄芯が入っていたとしても、もう錆びて朽ち果て、何の役にも立たない。防災の専門家や地方自治体などの役人という人種ほど怪しいものはない。大地震で日本は最貧国化するなどと土木関係学などが金儲けを思い言うが、大堤防、大公共事業などの金があるのなら、まず日本中にある住宅のブロック塀を取り壊すことだ。日本人の防災意識など、つねに最貧国のままだ。 

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